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東京の安部慎一に会いに行く

Search for Abe in Tokyo

​8 January 2017  |  Hokutoh

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安部愼一の名を聞くと、即座に阿佐ヶ谷が想起される。東京ではない。阿佐ヶ谷である。渋谷でも代々木でも、高円寺でもいけない。やはり阿佐ヶ谷なのである。
「安部愼一=阿佐ヶ谷」の道理などありはしないのだが、そうでなければならない必然のようなものがこの胸にあって、美代子が待っているあの永遠の部屋は、阿佐ヶ谷の奥深くに閉ざされていなければならないと思うのだ…。

 

いずれ誰かが後書きを汚してしまう気がするので先んじてみたが、実際のところ、安部愼一が東京・阿佐ヶ谷に住んでいたのは、そう長い期間ではない。年譜を紐解くと、一九七〇年~七三年、七五年~七八年の延べ六年程度であり、現在に至るまでの圧倒的な時間を出生の地・田川で過ごしている。このことは作品にも如実に現れており、一〇〇作に満たない安部全作品(共作含まず)のうち、舞台が阿佐ヶ谷と判別できるのは三〇作もない。分布としては圧倒的に九州の方が多いのである。

 

ではなぜ、それでも安部愼一は阿佐ヶ谷なのであろうか。冒頭から汚した私にとって、安部は、いつまでも御しがたく阿佐ヶ谷、なのであるが、おそらくは諸兄にも多数の賛同を得られると思っている。
安部の、(混濁というべきか)混迷の色が薄い五〇作足らずの傑作たち、そのほぼ全てが阿佐ヶ谷で描かれている。これらに執着して「安部=阿佐ヶ谷」と見做すのは当然と言えるが、問題は、安部にとって阿佐ヶ谷とは何だったのかということである。安部は何を得ようとして、何を失ったのだろうか。

オレ会社員。いま着いたとこ。

取り急ぎ現地を歩いてみることにした。

安部が初めて上京したのは、美代子と出会った翌年、「一九六八」年のことであった。当時、青春モノで熱狂的な人気を博し、〝教祖〟とまで称された永島慎二が、前年『COM』に発表した短編「青春裁判」に感銘を受け、家出して永島のもとを訪れたのだった。ただし、このときは三日で田川に戻り、投稿作品の制作に専念している。

居を移したのは一九七〇年で、この年、『ガロ』に掲載された「やさしい人」で漫画家デビューを果たした安部は、美代子の高校卒業を待って上京した。二〇歳の青年が選んだのは杉並区阿佐ケ谷北の木造アパート・富士荘の二階であった。後に安部は、阿佐ヶ谷を選んだのは永島慎二がいたからだと述懐している。

 

阿佐ヶ谷では、「久しぶり」(72)に描かれたように、富士荘を追い出されるかたちで高山アパートの二階に移っているが、友人も多く、それなりに充実した生活を送っていたようだ。代表作「美代子阿佐ヶ谷気分」をはじめとした傑作の数々をものにするとともに、七三年には美代子と結婚している。阿佐ヶ谷は漫画家・安部愼一の短くも濃い黄金期であった。

一九七三年、深刻なスランプを脱せずに、安部は福岡県伊崎に転居する。ここで初の連載「悲しみの世代」の執筆を始めるのだが、阿佐ヶ谷時代の総括として「富士荘二階」の外観から始まる同作において、既にデッサンは狂い、線の鋭さは失われていた。孤独の裡に瓦解する吾と吾らの幸せ。その悲しき咆哮を読み進めると、安部にとって阿佐ヶ谷時代がいかに重要なものであったかが分かる。年齢や作風から、やはり阿佐ヶ谷は青春そのものだったのだと、ノイエ・ムージク的結論に急ぎたくなるのも無理はないだろう。

 

結局、これ以上は描きようがないというところまで破綻して「悲しみの世代」を終結させた安部は、七五年に再度上京し、阿佐ヶ谷の高瀬コーポにて、炭鉱モノの連載を開始する。伊崎で鈴木翁二でも読み返したのだろうか、筑豊漫画シリーズは今まで以上に読み物としての意識が強い力作であったが、やがて整合性は薄れ、絵は無機質に、最終的には別人の如くなって、二年程で終了を迎える。その後、トレースを多用した短編を数作発表するものの、七八年に引退を決意して帰郷し、これ以降、阿佐ヶ谷に戻ってくることはなかった。安部の近況はセミ書房「漫画雑誌 架空」七月号所収のインタビューに詳しいが、今は田川の高台で美代子と穏やかに暮らしているという。

まずは井の頭公園である。 アベシンが阿佐ヶ谷に住んでいたことから、連鎖的に井の頭公園のイメージがあったが、実際に作品舞台となっているのは「無頼の面影」と「恋愛」の二作のみであり、推定を含めても、「一人暮らし」(72)「悲しみの世代」第三回(74)「僕はサラ金の星です!」(80)にちらりと登場するぐらいである。 井の頭公園は整備が進んでおり、当時の建物はほとんど残されていないが、公園であることから地形に大きな変化がなく、往事(!)を偲ぶことができる。

 

「無頼の面影」で二人が渡っている橋は、形状を見るに、おそらく池の東端に架かる「ひょうたん橋」であろう。ここから神田川が流れ出し、台東区へと抜ける。鯉の「怪物」に餌をやるシーンから、池の中央を横切る七井橋の可能性もあるが、改修され拡幅された現在の橋に面影はない。よく肥えた錦鯉は公園名物となっており、私が訪れたときも、たくさんの人が橋から身を乗り出して餌を投げやっていた。

ひょうたん橋から緩い坂を弁天様の方角に登っていくと、「泳遊亭」がある。建屋は変わっているが、おそらくこれが「漫画に出て来た処」(「恋愛」)である。老舗の蕎麦屋と言うが、人の気配はない。季節柄おでんのノボリも立っていなかった。 電話ボックスやベンチ、ゴミ箱はそこここにあり、特定するのは困難であった。「泳遊亭」から、「恋愛」に描かれた通りのレンガの坂を下り、横断歩道を渡って、いざ阿佐ヶ谷に向かう。

吉祥寺から中央線で三駅、到着した阿佐ヶ谷は、地上遥かの高架駅であった。 「恋愛」の冒頭には、木造平屋の駅舎が描かれているが、高架となった今や跡形もない。駅前も再開発が進み、西友があり、イトーヨーカドーがあり、大正時代から続くという住宅街の釣堀も、観光地然として面白みに欠けた。 それでも大都市らしく、飲み屋は番街で数えるほどに密集しているが、安部作品に頻繁に登場するおでん屋(時に小料理屋)の「灯」を見つけることはできなかった。このおでん屋は、かつて阿佐ヶ谷駅前にあった「かにや」という店らしく、主人は友部正人のアルバムジャケットを飾ったこともあるそうだ。今も駅前には中央線のガードを挟んで二軒のおでん屋があるが、どちらも安部ワールド並びに「かにや」の造りとは異なっていた。

毎度ながら、この調子でこの後は残念話ばかりである。

駅前の路地には、「トマト」で登場したビリヤード場「サンキュウ」があったと聞いていたが、今は中華料理屋になっていた(永島慎二御用達の老舗店だったと言い、八〇年代には閉店していたようだ)。 未発表作「道」などに描かれたプールは、一部周辺の家に面影を残していたが、子らの声が響く中、カメラ片手に周辺を回っていると、保護者たちの視線が痛い。俯瞰を撮るために脇のマンションに登ろうとしたところ、屋上に続く階段は堅く施錠され、立ち入る隙もなかった。

美代子の待つ冨士荘は、『たのしい中央線』三号(06)に、実子・安部コウセイ、光広(元スパルタ・ローカルズ)の訪問記事「両親の阿佐ヶ谷、俺たちの東京」が掲載されているが、「阿佐谷北五ノ九ノ一〇」には、既に新しいコーポが建てられていた。安部の好んだ真正面のショットを再現しようと思ったが、あたりは閑静な住宅街となって塞がり、それもままならなかった。

駄菓子屋も喫茶店も時計屋も五叉路もアジサイも発狂する犬もいない。このままでは、安部の阿佐ヶ谷の何たるか以前に、痕跡をひとつも発見できずに終わってしまう。最終手段として、苗字のよしみで石神井の池に飛び込むしかないのかと、念入りに作品集を読み返してみたものの、ナショナルがパナソニックではなあ、などと雑念が入るばかりであった。

辺りをうろついて、ようやく、電柱に針金で巻きつけられた「まるや 質」の看板を発見した。こちらも安部・阿佐ヶ谷を彩った風景であるが、今も質屋は健在だという。

 

富士荘の裏手には、空に溢れるような雑木林があり、遠くからでも目を引く。林の奥から光が零れ、中を通り抜けられる砂利敷きになっていたので歩いてみると、これが「浮気女」に登場した森の中の小道であった。道の中ほどには武家屋敷のような立派な門構えがあって、どうやらここは地主の邸宅であり、雑木林はその敷地、小道は私道のようなものであるようだった。辺りは静寂に包まれていた。

「浮気女」は兄と暮らす少女の、短い独白である。アパートの一室で、饒舌に独り言つ少女と、最後まで具体的なフォルムを現さず、少女の言葉の中にだけ眠る兄。まさしく「美代子阿佐ヶ谷気分」の構図である(ちなみに、後年の「剣道道場」(73、未発表)でも、安部は兄として登場している)。

ここで、美代子が、名前は違えど、どの作品でもほぼ同じような顔かたちで描かれているのに対し、安部自身の設定や造詣は、スタアシステムからアトランダムに選出されている。美代子と安部の極端に対照的な設計は、美代子が世界の中心であり、美代子と世界を繋ぐのは背徳と禁忌ばかりであるという強い自己否定に由来するのであろう。「孤独未満」というタイトルに見える被虐性こそが安部作品の暗さの源泉であることに疑いはないが、いわゆる「セカイ系」とは雲泥の深みを備えるのは、そこに、関与し得ないピュアネスの欺瞞を直視する視座が用意されているからなのである。

「浮気女」では、兄とのセックスを「美しい行為って面倒でない行為のことでしょ」と語りながらも、少女は「辛かった」「死ねなかった」と縷縷告白し、あろうことか部屋からこの小道に出て、涙まで流す。少女のシリアスなフォルムと背景の描き込みが陰鬱な印象を盛り上げるが、何よりも、逆説的に神話補完しようとするこの作品の失敗、部屋に戻る少女の無様が、深い悲しみを与えずにはおかない。

と、ここで紙面が尽きてしまった。残念ながら、今回の探索では、安部の阿佐ヶ谷に迫れたとは言い難いが、ふと最後に、「安部は『自分でもなければ他人でもない』ものに『甘えて』いた」という評を思い出した(南野菜苦汁「甘えのアナクロニズム」楡山書房『まり子の憧れ』所収)。それこそが阿佐ヶ谷であったのだとまとめたい気持ちはあるが、続きをお目にかける日まで、

 

モウスコシマツカオレガドウニカナルマデマツカタノムアベクニモト

2017.1.8  Kunimoto Kanei

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